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“I'm encouraged by FCA because I can network with Christian athletes and sports missionaries around the world.”

Yoriko Okamoto
2000 Sydney Olympic Taekwondo Women's 67kg Bronze Medalist

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"As members of the FCA gather, pray together, learn together, and encourage each other, I have been immersed in the grace of God and have had my faith restored. Sports has always been a part of my life, and I now work in the field of sports. It is a blessing to me to be able to encourage one another as we gather together as disciples of Jesus."

Ryuji Hiraseto
National Athlete Support Staff

FCA in Action


October 14, 2025
この忙しい世の中で、神と過ごす時間を意識的に持つことが何より大切です。 大学アスリートだった頃の私は、「休む」ということの本当の意味を理解していませんでした。休息とは、体調を崩した時やケガをした時にしか取らないものだと思っていたのです。神と過ごす時間も、その場しのぎのものでした。週に一度の聖書研究会に参加することが、信仰のために使う時間のすべてだったのです。 そんな私の考えを変えてくれたのは、霊的なメンターとの出会いでした。彼女は私に、神のために時間を「つくる」方法を教えてくれたのです。大切なのは、神に時間を割くことを「選ぶ」こと。自分のスケジュールが優先ではなく、神が最優先だということです。その教えは、私の人生を根本から変えました。 コーチやアスリートのスケジュールは、とにかくびっしりです。練習、戦略立案、試合、遠征、ウェイトトレーニング……。そのうえ、チーム活動や食事会、学校や勉強、そして私生活の予定まであります。つまり、コーチもアスリートも本当に多忙なのです。 しかし、イエスもまた非常に忙しい日々を過ごされました。次の町へと何マイルも歩き続け、人々に呼び止められ、しばしば中断されながらも教えを続けられました。村々で教え、人々と食事を共にし、群衆の中で癒しを行い、疑う者を諭されました。まさに一日中、神の働きに満ちた時間を過ごされていたのです。 それでもイエスは、朝早く起きて人里離れた場所に行き、祈りの時間を持たれました(マルコ1:35)。イエスは人々の間から離れ、父なる神との交わりを優先されることで知られていました。群衆の外で祈っておられるイエスを、人々はしばしば探しに行ったほどです(ルカ4:42)。 イエスは、日々の働きを始める前に、父なる神の愛に根ざし、その力と恵みに満たされることを最優先にされました。 「まず神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられます。」 ― マタイ6章33節 神もまた、私たちに「わたしと共に過ごしなさい」と呼びかけておられます。だからこそ、スケジュールの中に意識的にその時間を設ける必要があるのです。それは必ず価値のある時間になります。 一日の始まりにほんの数分でも、または昼食のひとときを静かに神を求めるために使ってもよいでしょう。小さな仕事をひとつ減らしてでも、神との時間を取る――その価値は計り知れません。イエスは、「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできない」と言われました。 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしのうちに実を結ばない枝はみな、父がそれを取り除き、実を結ぶ枝はみな、もっと多く実を結ぶように刈り込みます。あなたがたは、わたしが話した言葉によってすでに清いのです。わたしにとどまりなさい。そうすれば、わたしもあなたがたのうちにとどまります。枝がぶどうの木につながっていなければ自分では実を結べないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実を結ぶことはできません。」 ― ヨハネ15章1~4節 忙しさのただ中でも、イエスは父なる神と共にいる時間を持たれました。私たちも同じようにすべきです。もし私たちがスポーツの練習を優先できるのなら、どれほどもっと神との時間を優先できるでしょうか? 神こそが、私たちに能力を与えてくださったお方です。まず神を第一に置くとき、神は私たちの日々を御霊で満たし、私たちがますます神を知り、その御国のために実を結び、人々に祝福をもたらすことができるよう導いてくださいます。  今日、神のための時間をつくりましょう。 あなたの魂は、きっと喜びに満たされるでしょう。 実践してみよう 聖句 2コリント3章18節 質問 神と過ごす時間を優先するために、あなたには何が必要でしょうか? 神のための時間を生み出すために、何を手放せますか? チャレンジ マタイ6章33節を暗唱し、心が他のことに向かいそうな時、自分を神に焦点を戻すために用いましょう。 FCA in Action より翻訳引用 執筆者:ヘイリー・バーンズ(FCA 北コロラド) https://www.fcaglory.org/creating-time-for-god
July 26, 2025
ようこそ マタイ 6:33 自分自身の栄光を追い求めることは、一時的な幸せや満足をもたらすかもしれません。しかし、それは利己心や高慢さにもつながります。けれども、神の永遠の栄光に希望を置くとき、私たちはまず神の国を求め、真の喜びと目的を味わうことができます。 ワークアウト 神の国を第一に この世界には、2つの国があります:―人の国と神の国です。 神の国を別の言い方で表すなら、「キリストのからだ」または「教会」と言えます。この交わりの一員になることは、イエスとの関係を深める最も良い方法の一つです。日々の生活への取り組み方が変わり、優先順位が新しくされていくでしょう。 何より大切なのは、神の国の一員になることは、他の信者たちと共に神の栄光をこの世に映し出すということです。マタイ 5:16 教会は、イエスを救い主であり主として信じ受け入れるすべての人のためにあります。だからこそ、キリストの弟子として、あなたの務めの一つは、救いの良い知らせを他の人と分かち合い、神の国へと招くことです。 「世の光である」とはどういう意味でしょうか? スポーツを通してイエスを分かち合う具体的な方法は何がありますか? 神の栄光のために 競技でも生活でも、すべてを神の栄光のために行うべきです。これは、イエスの十字架による救いと、死からの復活によって与えられた永遠の命という賜物への正しい応答です。 神の栄光のために生きることは、祈り(神に語り、聞くこと)、聖書の学び(御言葉を読むこと)、交わり(他の信者とのつながり)という日々の習慣に現れるはずです。初代教会のクリスチャンたちにパウロが教えたように、これらのことを実践することで、キリストを他の人に伝える準備が整えられます。1コリント 9:26-27 また、これらのことを続けることによって、信仰において強められ、神の栄光を人生に映し出すことができます。コロサイ 3:23 あなたはどれくらいの頻度で、祈り、聖書の学び、信仰の交わりを生活に取り入れていますか? それらを継続的に行うことは、神の栄光のために何かをするうえでどのように役立つと思いますか? まとめ 神の永遠に続く栄光を思い巡らすとき、次のことを心に留めましょう: 神の国を第一にする とは、神の国(教会)の一員となり、自分の周囲の世界に神の姿を映し出すことです。 1テサロニケ 2:12 神の栄光のために とは、競技の場でも人生のあらゆる領域においても、あなたの行動の動機となるものです。 ローマ 11:36 イエスと共に歩むこの旅の中で、あなたは「自分の栄光を追い求める生き方」から「神の栄光を映し出す生き方」へと、確実に変えられていくのです。 実践ポイント ハドルの時間や静まりの時間に、2コリント 4:7–18 を読んでみましょう。この聖書箇所が、「この地上の一時的なもの」と「イエスと共にある永遠の希望」との違いについて何を語っているかを話し合いましょう。
July 7, 2025
マタイ6:33 イエスに従う決心をした後でも、この世の競争社会に引き戻される誘惑は非常に強いものです。しかし、偽りの文化を追い求めることは、自分らしさを失わせ、成功や失敗の背後に隠れて生きることにつながります。 一方、神の道は真実であり、この世の一時的な高揚感をはるかに超えて永遠に続きます。 ワークアウト 一時的なもの イエスに従う前、使徒パウロは自分の血筋、教育、技術的スキルに頼って富と権力を得ていました。しかし彼は、それらを捨てて神の道を選びました。その道は決して楽ではありませんでしたが、栄誉、称賛、影響力、快適さといったものが一時的なものであることを彼は悟っていたのです。 パウロはコリントの教会への手紙の中で、スポーツの例えを用いてこの点を語っています:(1コリント9:24-25) 質問: 競技者として、あなたの一番の功績は何ですか? 試合や大会で勝った後、それについて考えるのをやめて、次の目標を考え始めるまでにどれくらいかかりますか? 永遠に続く栄光 最終的にパウロは、福音を公に語ったことで投獄され、殉教しました。その瞬間、彼は天におられるイエスと共にいました。彼の苦しみはすべて終わり、イエスに従う前に追い求めていた物質的なものは、もはや意味を持たなかったのです。 これは、あなたにもいつか訪れる現実です。だからこそ、神の栄光は永遠に続く栄光であることを心に留めておくことが大切なのです。天国の希望、そしてイエスとの永遠のいのちは、挫けそうになったり、諦めたくなったりする時に、あなたを支えてくれます。 パウロは次のようにも書いています: 「だから、わたしたちは落胆しない。たとい外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちにもたらすからである。」(2コリント4:16-17) 神の永遠に続く栄光を目指して競うことは、この世の価値観とはまったく正反対です。しかし神の力によって、あなたはより大きな報い——地上での豊かな人生(喜び、平安、愛など)と天での永遠の命——のために競うことができるのです。 質問: イエスに従う決心をした競技者として、今後どのような困難があると思いますか? 今と永遠に続く神の約束を思い出すことは、やめたい、諦めたいという誘惑にどう立ち向かわせてくれるでしょうか? まとめ イエスに従うというあなたの決断が、長期的にどのような影響を持つかを考えるとき、次のことを思い出してください: 永遠に続く栄光は、イエスとの関係の中にしか存在しません。トロフィー、メダル、ニュース記事、金銭的な報酬は、いずれすべて消え去ります。(2コリント4:18) この世の一時的なものと天にある永遠のものとの違いがわかってくると、あなたは自分の栄光を追い求める生き方から、神の栄光を映し出す生き方へと変えられていくでしょう。 行動の鍵 ハドル(小グループ)や静まる時に、自分の競技の目標を一つの列に、霊的な目標を別の列に書き出してみましょう。そして、それぞれの目標が地上の未来と永遠の未来にどのような影響を与えるかを比較してみてください。
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