神様のために時間をつくる

この忙しい世の中で、神と過ごす時間を意識的に持つことが何より大切です。
大学アスリートだった頃の私は、「休む」ということの本当の意味を理解していませんでした。休息とは、体調を崩した時やケガをした時にしか取らないものだと思っていたのです。神と過ごす時間も、その場しのぎのものでした。週に一度の聖書研究会に参加することが、信仰のために使う時間のすべてだったのです。
そんな私の考えを変えてくれたのは、霊的なメンターとの出会いでした。彼女は私に、神のために時間を「つくる」方法を教えてくれたのです。大切なのは、神に時間を割くことを「選ぶ」こと。自分のスケジュールが優先ではなく、神が最優先だということです。その教えは、私の人生を根本から変えました。
コーチやアスリートのスケジュールは、とにかくびっしりです。練習、戦略立案、試合、遠征、ウェイトトレーニング……。そのうえ、チーム活動や食事会、学校や勉強、そして私生活の予定まであります。つまり、コーチもアスリートも本当に多忙なのです。
しかし、イエスもまた非常に忙しい日々を過ごされました。次の町へと何マイルも歩き続け、人々に呼び止められ、しばしば中断されながらも教えを続けられました。村々で教え、人々と食事を共にし、群衆の中で癒しを行い、疑う者を諭されました。まさに一日中、神の働きに満ちた時間を過ごされていたのです。
それでもイエスは、朝早く起きて人里離れた場所に行き、祈りの時間を持たれました(マルコ1:35)。イエスは人々の間から離れ、父なる神との交わりを優先されることで知られていました。群衆の外で祈っておられるイエスを、人々はしばしば探しに行ったほどです(ルカ4:42)。
イエスは、日々の働きを始める前に、父なる神の愛に根ざし、その力と恵みに満たされることを最優先にされました。
「まず神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられます。」
― マタイ6章33節
神もまた、私たちに「わたしと共に過ごしなさい」と呼びかけておられます。だからこそ、スケジュールの中に意識的にその時間を設ける必要があるのです。それは必ず価値のある時間になります。
一日の始まりにほんの数分でも、または昼食のひとときを静かに神を求めるために使ってもよいでしょう。小さな仕事をひとつ減らしてでも、神との時間を取る――その価値は計り知れません。イエスは、「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできない」と言われました。
「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしのうちに実を結ばない枝はみな、父がそれを取り除き、実を結ぶ枝はみな、もっと多く実を結ぶように刈り込みます。あなたがたは、わたしが話した言葉によってすでに清いのです。わたしにとどまりなさい。そうすれば、わたしもあなたがたのうちにとどまります。枝がぶどうの木につながっていなければ自分では実を結べないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実を結ぶことはできません。」
― ヨハネ15章1~4節
忙しさのただ中でも、イエスは父なる神と共にいる時間を持たれました。私たちも同じようにすべきです。もし私たちがスポーツの練習を優先できるのなら、どれほどもっと神との時間を優先できるでしょうか?
神こそが、私たちに能力を与えてくださったお方です。まず神を第一に置くとき、神は私たちの日々を御霊で満たし、私たちがますます神を知り、その御国のために実を結び、人々に祝福をもたらすことができるよう導いてくださいます。
今日、神のための時間をつくりましょう。
あなたの魂は、きっと喜びに満たされるでしょう。
実践してみよう
聖句
2コリント3章18節
質問
神と過ごす時間を優先するために、あなたには何が必要でしょうか?
神のための時間を生み出すために、何を手放せますか?
チャレンジ
マタイ6章33節を暗唱し、心が他のことに向かいそうな時、自分を神に焦点を戻すために用いましょう。
FCA in Action より翻訳引用 執筆者:ヘイリー・バーンズ(FCA 北コロラド)
FCA in Action








