Greater: Performance
2023年1月25日
キリストにおけるアイデンティティが新たなパフォーマンスを生む

Performance: 「パフォーマンスは重要である。」それ自体は悪いことではありません。しかし、競争相手に対して抱く不健全な視点は、悪い習慣、間違った動機、不必要な圧力を生み出す可能性があります。良いニュースは、キリストにおけるあなたのアイデンティティがあなたに新しいパフォーマンスを与えるということです。
神が真に喜ばれる必要がある唯一の人であることを理解することは、確かに平和、喜び、そして恐れからの自由をもたらすことができます。それにより、あなたが誰かではなく、誰かのためにプレーできるように変えられていくでしょう。
FCA in Action

この忙しい世の中で、神と過ごす時間を意識的に持つことが何より大切です。                                                      大学アスリートだった頃の私は、「休む」ということの本当の意味を理解していませんでした。休息とは、体調を崩した時やケガをした時にしか取らないものだと思っていたのです。神と過ごす時間も、その場しのぎのものでした。週に一度の聖書研究会に参加することが、信仰のために使う時間のすべてだったのです。                                                      そんな私の考えを変えてくれたのは、霊的なメンターとの出会いでした。彼女は私に、神のために時間を「つくる」方法を教えてくれたのです。大切なのは、神に時間を割くことを「選ぶ」こと。自分のスケジュールが優先ではなく、神が最優先だということです。その教えは、私の人生を根本から変えました。                                                      コーチやアスリートのスケジュールは、とにかくびっしりです。練習、戦略立案、試合、遠征、ウェイトトレーニング……。そのうえ、チーム活動や食事会、学校や勉強、そして私生活の予定まであります。つまり、コーチもアスリートも本当に多忙なのです。                                                      しかし、イエスもまた非常に忙しい日々を過ごされました。次の町へと何マイルも歩き続け、人々に呼び止められ、しばしば中断されながらも教えを続けられました。村々で教え、人々と食事を共にし、群衆の中で癒しを行い、疑う者を諭されました。まさに一日中、神の働きに満ちた時間を過ごされていたのです。                                                      それでもイエスは、朝早く起きて人里離れた場所に行き、祈りの時間を持たれました(マルコ1:35)。イエスは人々の間から離れ、父なる神との交わりを優先されることで知られていました。群衆の外で祈っておられるイエスを、人々はしばしば探しに行ったほどです(ルカ4:42)。                                                      イエスは、日々の働きを始める前に、父なる神の愛に根ざし、その力と恵みに満たされることを最優先にされました。                                                                                                            「まず神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられます。」                        ― マタイ6章33節                                                      神もまた、私たちに「わたしと共に過ごしなさい」と呼びかけておられます。だからこそ、スケジュールの中に意識的にその時間を設ける必要があるのです。それは必ず価値のある時間になります。                        一日の始まりにほんの数分でも、または昼食のひとときを静かに神を求めるために使ってもよいでしょう。小さな仕事をひとつ減らしてでも、神との時間を取る――その価値は計り知れません。イエスは、「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできない」と言われました。                                                      「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしのうちに実を結ばない枝はみな、父がそれを取り除き、実を結ぶ枝はみな、もっと多く実を結ぶように刈り込みます。あなたがたは、わたしが話した言葉によってすでに清いのです。わたしにとどまりなさい。そうすれば、わたしもあなたがたのうちにとどまります。枝がぶどうの木につながっていなければ自分では実を結べないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ実を結ぶことはできません。」                        ― ヨハネ15章1~4節                                                      忙しさのただ中でも、イエスは父なる神と共にいる時間を持たれました。私たちも同じようにすべきです。もし私たちがスポーツの練習を優先できるのなら、どれほどもっと神との時間を優先できるでしょうか?                        神こそが、私たちに能力を与えてくださったお方です。まず神を第一に置くとき、神は私たちの日々を御霊で満たし、私たちがますます神を知り、その御国のために実を結び、人々に祝福をもたらすことができるよう導いてくださいます。                                                                                                                                     今日、神のための時間をつくりましょう。                                              あなたの魂は、きっと喜びに満たされるでしょう。                                                                                     実践してみよう                                                      聖句                         2コリント3章18節                                                      質問                                              神と過ごす時間を優先するために、あなたには何が必要でしょうか?                        神のための時間を生み出すために、何を手放せますか?                                                      チャレンジ                                              マタイ6章33節を暗唱し、心が他のことに向かいそうな時、自分を神に焦点を戻すために用いましょう。                                                                                     FCA in Action より翻訳引用 執筆者:ヘイリー・バーンズ(FCA 北コロラド)                                                      https://www.fcaglory.org/creating-time-for-god
 

ようこそ                                                       マタイ 6:33                                                                                     自分自身の栄光を追い求めることは、一時的な幸せや満足をもたらすかもしれません。しかし、それは利己心や高慢さにもつながります。けれども、神の永遠の栄光に希望を置くとき、私たちはまず神の国を求め、真の喜びと目的を味わうことができます。                                                                                     ワークアウト                                                                                     神の国を第一に                                                      この世界には、2つの国があります:―人の国と神の国です。                                                      神の国を別の言い方で表すなら、「キリストのからだ」または「教会」と言えます。この交わりの一員になることは、イエスとの関係を深める最も良い方法の一つです。日々の生活への取り組み方が変わり、優先順位が新しくされていくでしょう。                                                                                     何より大切なのは、神の国の一員になることは、他の信者たちと共に神の栄光をこの世に映し出すということです。マタイ 5:16                                                                                     教会は、イエスを救い主であり主として信じ受け入れるすべての人のためにあります。だからこそ、キリストの弟子として、あなたの務めの一つは、救いの良い知らせを他の人と分かち合い、神の国へと招くことです。                                                                                                  「世の光である」とはどういう意味でしょうか?                                                           スポーツを通してイエスを分かち合う具体的な方法は何がありますか?                                                                                                 神の栄光のために                                                      競技でも生活でも、すべてを神の栄光のために行うべきです。これは、イエスの十字架による救いと、死からの復活によって与えられた永遠の命という賜物への正しい応答です。                                                                                     神の栄光のために生きることは、祈り(神に語り、聞くこと)、聖書の学び(御言葉を読むこと)、交わり(他の信者とのつながり)という日々の習慣に現れるはずです。初代教会のクリスチャンたちにパウロが教えたように、これらのことを実践することで、キリストを他の人に伝える準備が整えられます。1コリント 9:26-27                                                                                     また、これらのことを続けることによって、信仰において強められ、神の栄光を人生に映し出すことができます。コロサイ 3:23                                                                                                  あなたはどれくらいの頻度で、祈り、聖書の学び、信仰の交わりを生活に取り入れていますか?                                                           それらを継続的に行うことは、神の栄光のために何かをするうえでどのように役立つと思いますか?                                                                                                 まとめ                                                                                     神の永遠に続く栄光を思い巡らすとき、次のことを心に留めましょう:                                                      神の国を第一にする                                  とは、神の国(教会)の一員となり、自分の周囲の世界に神の姿を映し出すことです。 1テサロニケ 2:12                                                                                     神の栄光のために                                  とは、競技の場でも人生のあらゆる領域においても、あなたの行動の動機となるものです。 ローマ 11:36                                                                                     イエスと共に歩むこの旅の中で、あなたは「自分の栄光を追い求める生き方」から「神の栄光を映し出す生き方」へと、確実に変えられていくのです。                                                                                     実践ポイント                                                      ハドルの時間や静まりの時間に、2コリント 4:7–18 を読んでみましょう。この聖書箇所が、「この地上の一時的なもの」と「イエスと共にある永遠の希望」との違いについて何を語っているかを話し合いましょう。
 

マタイ6:33                                                      イエスに従う決心をした後でも、この世の競争社会に引き戻される誘惑は非常に強いものです。しかし、偽りの文化を追い求めることは、自分らしさを失わせ、成功や失敗の背後に隠れて生きることにつながります。                                                                                     一方、神の道は真実であり、この世の一時的な高揚感をはるかに超えて永遠に続きます。                                                                                     ワークアウト                                                      一時的なもの                                                      イエスに従う前、使徒パウロは自分の血筋、教育、技術的スキルに頼って富と権力を得ていました。しかし彼は、それらを捨てて神の道を選びました。その道は決して楽ではありませんでしたが、栄誉、称賛、影響力、快適さといったものが一時的なものであることを彼は悟っていたのです。                                                      パウロはコリントの教会への手紙の中で、スポーツの例えを用いてこの点を語っています:(1コリント9:24-25)                                                                                     質問:                                                                   競技者として、あなたの一番の功績は何ですか?                                                           試合や大会で勝った後、それについて考えるのをやめて、次の目標を考え始めるまでにどれくらいかかりますか?                                                                                                 永遠に続く栄光                                                      最終的にパウロは、福音を公に語ったことで投獄され、殉教しました。その瞬間、彼は天におられるイエスと共にいました。彼の苦しみはすべて終わり、イエスに従う前に追い求めていた物質的なものは、もはや意味を持たなかったのです。                                                                                     これは、あなたにもいつか訪れる現実です。だからこそ、神の栄光は永遠に続く栄光であることを心に留めておくことが大切なのです。天国の希望、そしてイエスとの永遠のいのちは、挫けそうになったり、諦めたくなったりする時に、あなたを支えてくれます。                                                                                     パウロは次のようにも書いています:                                                      「だから、わたしたちは落胆しない。たとい外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちにもたらすからである。」(2コリント4:16-17)                                                                                     神の永遠に続く栄光を目指して競うことは、この世の価値観とはまったく正反対です。しかし神の力によって、あなたはより大きな報い——地上での豊かな人生(喜び、平安、愛など)と天での永遠の命——のために競うことができるのです。                                                                                     質問:                                                                   イエスに従う決心をした競技者として、今後どのような困難があると思いますか?                                                           今と永遠に続く神の約束を思い出すことは、やめたい、諦めたいという誘惑にどう立ち向かわせてくれるでしょうか?                                                                                                 まとめ                                                      イエスに従うというあなたの決断が、長期的にどのような影響を持つかを考えるとき、次のことを思い出してください:                                                      永遠に続く栄光は、イエスとの関係の中にしか存在しません。トロフィー、メダル、ニュース記事、金銭的な報酬は、いずれすべて消え去ります。(2コリント4:18)                                                      この世の一時的なものと天にある永遠のものとの違いがわかってくると、あなたは自分の栄光を追い求める生き方から、神の栄光を映し出す生き方へと変えられていくでしょう。                                                                                     行動の鍵                                                      ハドル(小グループ)や静まる時に、自分の競技の目標を一つの列に、霊的な目標を別の列に書き出してみましょう。そして、それぞれの目標が地上の未来と永遠の未来にどのような影響を与えるかを比較してみてください。
 

第2コリント3:18                                                      あなたが日々、神への信頼を深めていく中で、信仰は次第にあなたの人生の2つの領域にあらわれてきます。それは「時間の使い方」と「他者への関わり方」です。この二つは、競技においても人生においても、神の栄光を映し出したいと願うあなたにとって、重要な鍵となります。                                                                                     ワークアウト                                                      神の自由を表す生き方                                                      アスリートは、「自分には十分な時間がない」という思い込みの罠に陥りやすいものです。家族、学校、スポーツ、友人関係に時間を割きながら、趣味や休息の時間も確保しなければなりません。さらにそこに、祈り、聖書を読むこと、教会での交わりといった信仰生活の要素も加わると、参ってしまうかもしれません。                                                      神を信頼するなら、あなたは神を第一にするという、本当の自由を味わうことができます。それは、スポーツの世界が求める常識とは違う生き方を選ぶこと。そして何よりも大切なのは、自分の生き方を通してイエス・キリストがどんなお方なのかを周囲に示していくことなのです。マタイ5:16                                                                                                  あなたの生活の中で、「時間が足りない」と感じるのはどんな時ですか?                                                                        神があなたの優先順位の見直しを助けてくださるなら、それは神の栄光を映し出すための時間と自由を与えてくれると思いますか?                                                                                                 神の御姿を映し出す                                                      キリストに従うアスリートとして最も難しいことのひとつは、神の性質を映し出すことです。使徒パウロは、信仰者の人生にあらわれるべき属性について書いています。(ガラテヤ5:22-23)                                                                                     競技者にとって、「御霊の実」はこのように表れるかもしれません:                                                                                     愛:対戦相手を含め、すべての人に思いやりを持つこと。                                                      喜び:勝ち負けに関係なく、神のうちに喜びを見出すこと。                                                      平安:困難な状況の中でも、心を乱さず落ち着いていられること。                                                      寛容:物事が思うように進まなくても、心を乱さずに待つこと。                                                      親切:人を尊重し、思いやりをもって接すること。                                                      善意:人に対して純粋な動機で行動すること。                                                      誠実:困難なときにも諦めず、忠実に取り組むこと。                                                      柔和:否定的なフィードバックを受けても、荒々しく反応しないこと。                                                      自制:試合中の困難な状況においても感情を爆発させず、冷静さを保つこと。                                                                                     現代社会では、これらの実を持つことは簡単ではありません。しかし、あなたの中にこれらが見えるようになるとき、あなたは神の御姿を反映しているのです。                                                                                                  アスリートとして生きる中で、どの実を実らせるのが一番難しいと感じますか?                                                                        それぞれの実は、あなたの生き方を通して、神の御姿をどのように映し出すと思いますか?                                                                                                 まとめ                                                      神の栄光を映すことを目指すとき、次のことを覚えておいてください:                                                                   神の与える自由を映し出す生き方は、結果にとらわれる生き方からあなたを解き放ち、人生の優先順位や時間の使い方をよりよく導いてくれます。2コリント 3:17                                                           神の御姿を映し出す生き方は、神があなたの人生に御霊の実を結ばせてくださるようになり、人との接し方に変化をもたらします。2コリント3:18                                                                                                 イエスのようになればなるほど、自分自身の栄光を追い求めることから離れ、神の栄光を映し出す者へと変えられていきます。                                                                                                                                     行動の鍵                                                      ハドル(小グループ)や静まりの時に、エペソ3:14〜20を読んでみましょう。そして、キリストにあるあなたの新しい人生からもたらされる祝福(平安、恵み、希望など)を書き出し、それらについて考えてみましょう。
 

前回は、天国での新しい永遠のいのちと引き換えに、イエスに人生を明け渡すことについてお話ししました。しかし、真の明け渡しとは、あなたの人生のすべての領域—たとえば競技者としての歩みにおいても—神を信頼することから生まれます。                                                                                     感謝すべきことに、イエスとの関係を持つと、聖霊という素晴らしい助け手が与えられ、あなたの心や生き方が変えられていく道のりを助けてくれます。                                                                                     ワークアウト                                                                                     覆いを取り去る                                                       イエスがこの地上を歩まれる何千年も前、神はごく限られた人々に語りかけておられました。そして、その選ばれた人々が神の言葉や命令を他の人々に伝えていたのです。その中の一人がモーセでした。『出エジプト記』では、モーセが神から直接語りかけられ、多くの驚くべき奇跡を通して、神の民をエジプトの奴隷状態から導き出す様子が描かれています。                                                                                     長い旅路の中で(出エジプト33)、モーセは神に「ご自身を見せてください」と願いました。けれども、神の栄光は人間にはあまりにもまばゆく、まともに見ることはできませんでした。そこで神は、モーセにご自身の「背中」だけを少しだけ見せてくださいました。                                                      イエスが地上に来られたとき、人々は再び神の栄光を垣間見ることができました。しかし、その栄光が完全に現れたのは、イエスの十字架の死と復活を通してでした―そのとき、神の本当の姿と愛の深さがはっきりと示されたのです。                                                                                     使徒パウロは、イエスとの劇的な出会い(使徒9:1–10)をきっかけに、キリストを信じる者へと変えられた人物です。彼は第二コリント3:12-16の中で、「覆い(ベール)」の象徴について語っています。この覆いは、イエスを信じることで取り除かれると説明しています。                                                                                     つまり、イエスを信じる前は、心の目が覆われていて神の真理がはっきり見えませんが、イエスを信じたとき、その覆いが取り除かれ、神の栄光が見えるようになる――という深い霊的な意味が込められています。                                                      使徒パウロは、イエスとの劇的な出会い(使徒9:1–10)を経てクリスチャンになった人物です。第二コリント3:12–16で、彼はベールの象徴について語り、イエスに従うことを選んだら、そのベールがどのようにして取り除かれるのかを記しています。                                                                                     あなたがイエスを救い主・主として信じる決心するとき、あなたの心を覆っていたベールは取り除かれます。かつてそこにあった暗闇は、今や神の真理の光と御霊の力によって置き換えられ、あなたは日々、神の栄光を映す者へと変えられていくのです。                                                                                     神の栄光を映し出す                                                      パウロが学んだように、神の栄光を映し出すための第一歩は、御霊の導きを信頼し従いながら、神に自分を明け渡すことです。ヨハネ12:24-25                                                                                     あなたのスポーツにおいて、それは次のようなことを意味するかもしれません:                                                                   自分の才能や努力だけに頼らず、神に信頼し確信を置くこと                                                                        思い通りにいかないときでも、神に感謝をささげること                                                                        自分よりも他の人を優先すること                                                                        スポーツを自分の将来のためだけでなく、イエスを人々に伝える手段として見ること                                                                                                 どんな状況であっても、あなたの行動や反応を通して、人々はあなたのうちにイエスを見るようになります。あなたが御霊に信頼し、従い、歩んでいくとき、神の栄光があなたの人生において最も輝き現れるのです。                                                                                       ・競技人生の中で、あなたはどの部分を神に委ねる必要がありますか?                                                                     ・あなたのスポーツを通して、どのような具体的な方法で神の栄光を映し出すことができますか?                                                                                                                         まとめ                                                      イエスとの新しい人生をより深く歩んでいくとき、次のことを忘れないでください                                                      神の栄光を映し出すということは、どんな状況でも神を信頼し、従い、聖霊についていくことを意味します。 第二コリント 3:9                                                                                     人生のあらゆる面で神をより深く信頼するようになるにつれて、あなたは自分の栄光を追い求める生き方から、神の栄光を映し出す者として進み続けるでしょう。                                                                                     行動の鍵                                                      ハドルや静まるひとときの中で、神に明け渡すべきことを振り返ってみましょう。そして、神の栄光を映し出すことを目指す中で、心から神を信頼するための具体的な計画を立ててみてください。                                                                                     チャレンジ:私は神や人ではなく、自分自身や自分の能力を誇りたくなる誘惑に直面することがあります。                                                      真理:私が神に似た者に変えられていくとき、神の栄光が私の人生に反映されるのです。ヨハネ17:20-23
 

ヨハネによる福音書 1:14                                                                                     前回の学びでは、イエス・キリストが神の栄光を世に現すために遣わされたことを学びました。しかし、イエスが来られたのは、あなたが神の栄光を受け取り、父なる神との関係を回復するためでもありました。イエスの犠牲と、あなたの従順によって、すべてが変わるのです。                                                                                                                                     ワークアウト                                                      神の栄光を受け取る                                                                                     イエスは3年半の間、罪のない人生を歩まれ、福音を宣べ伝えた後、ついに世の罪のために十字架の上でご自身を犠牲にされる時が来ました。                                                      ヨハネによる福音書 3:16                                                                                     その犠牲のゆえに、あなたは全世界が受けるべき永遠の死から救われるのです。                                                      ローマ人への手紙 3:23                                                                                     このプレゼントを受け取るために必要なことは、主の御名を呼び求め、主があなたの罪のために死なれたと信じ、主の赦しを受け、罪から離れ、神を信頼し、御言葉に従うことを決心することです。                                                                                     神の栄光は関係を回復する                                                                                     イエスの死によって、あなたの罪は赦されました。そして三日目にイエスが死から復活されたことによって、あなたはキリストにある新しい命を受け、神との関係が回復され、天の御国で永遠に生きる希望が与えられたのです。(コロサイ人への手紙1:19-20)                                                                                     これは創世の時からの神のご計画―すべての人が神の臨在の喜びを体験すること―でした。そして今、イエスの犠牲によって、あなたはもはや自分自身の栄光を追い求める重荷を背負う必要はありません。代わりに神にあなたの最善をささげ、結果がどうであれ、すべての栄光を神に捧げることができるのです。                                                                                     それは、神はあなたの最も誠実な明け渡しによって、あなたの最良の努力以上のことをなすことができるからです。                                                                                                  あなたはキリストに何を明け渡す必要がありますか?                                                           イエスとの関係を通して神と和解することで、競技や人生全般に対するあなたの見方はどのように変わるでしょうか?                                                                                                 まとめ                                                      イエスを信じるという人生に変化を与える決断をする時、次のことを心に留めてください:                                                                   神の栄光を受けるとは、イエスがあなたの救い主であり主であることを告白し、イエスの十字架の犠牲によってあなたの罪が赦されることを信じることです。(ローマ人への手紙5:1-2)                                                           神の栄光は和解をもたらします。神のみこころのために自分の意志を明け渡すとき、あなたは神との回復された関係と途切れることのない交わりを楽しむことができます。(ローマ人への手紙 5:11)                                                                                                 キリストにある新しい人生の旅を歩み始めるとき、あなたは自分の栄光を追い求めることから、主の栄光を映し出す人生へと変えられていくでしょう。                                                                                     行動の鍵                                                      神との静かな時間の中で、ローマ人への手紙5:1-11を読み、救いの恵みと神の栄光を受けることの祝福について黙想し、書き記しましょう。
 

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。 」ヨハネによる福音書 1:14                                                                                     これまで、栄光を「他者から与えられるもの」、また「充実感を得るために追い求めるもの」として語ってきました。しかし、栄光にはもう一つ、さらに壮大な意味があります。それは、神という存在の無限の本質を指しているのです。                                                      聖書には、神の栄光がさまざまな方法で記されています。しかし、イエス(人となられた神)が地上に来られ、私たちを自らの栄光を追い求めることの重圧から、また罪と死の呪いから救ってくださるまで、世界はその真の栄光を実際に垣間見ることはできませんでした。                                                                                     ワークアウト                                                                                                                                     啓示された神の栄光                                                      アダムとエバが神に対して罪を犯してから約4000年後、人類を贖い、創造主との正しい関係を回復させるための神のご計画が展開されました。それは、神の御子イエスが赤ん坊としてこの地に来られたときに始まりました(マタイ 1–2)。イエスは30年間ナザレで静かに過ごされ、その後、神によって定められた公のミニストリーを開始されました。                                                      ヨハネによる福音書 1:18                                                      ヨハネの福音書1章1~18節に記されているように、イエスは生きて呼吸する神の言葉そのものであり、奇跡を行い、霊的な教えを語り、新しい御国の到来を告げることで、父なる神の栄光をこの世に示されました。                                                      多くの人々は、イエスが神ご自身であり、神の栄光を啓示し、世界を救うために遣わされたメシアであることを理解できませんでした。しかし、その啓示を悟った人々の人生は、永遠に変えられたのです。                                                                                     重荷をおろす                                                      自分の栄光を求めることは、大きな重圧を伴います。そして、自分の名前が称賛されるのを聞いても、思ったほど満たされるものではありません。これは特にスポーツの世界で顕著に表れます。チャンピオンシップに到達することができても、あと一歩届かなかったときには落胆するかもしれません。すべてを勝ち取ったとしても、その高揚感は翌朝には消えてしまうでしょう。こうして、終わりのない個々の目標を追い求める無限のサイクルに陥ってしまいます。                                                      しかし、イエスの生き方を見ると、それとはまったく対照的です。イエスは、その神の力に対する賞賛と栄光を求めることもできたはずですが、仕える者として、世の罪のために犠牲となるために来られました。                                                      マタイによる福音書 20:28                                                      イエスを通して神の栄光が現されるのを見るとき、私たちは自分の栄光を追い求める重荷を降ろし、自分のためではなく、神の栄光のために生きることができるのです。                                                                   自分の栄光を求めることが、あなたをどのように疲れさせているでしょうか?                                                           競争で成功を収めたにもかかわらず、虚しさや満たされない思いを抱いたことはありますか?                                                                                            まとめ                                                      もし、あなたが自分の栄光を追い求めることに疲れを感じているなら、次のことを覚えておいてください。                                                                   神の栄光は、御子の生涯を通して現されています。 イエスは、あなたにより良い道を示してくださいます。                                                                  ヘブル人への手紙 1:3a                                                      神の栄光があなたに啓示されるとき、あなたは自分の栄光を追い求めるのではなく、神の栄光を映し出す者へと変えられるでしょう。                                                                                     行動の鍵                                                      ハドルや静かな時間の中で詩篇104編を読み、神の栄光を際立たせる驚くべき御業に注目してください。イエスが、その同じ神でありながら肉体を持って来られたこと、そしてそのキリストの啓示が、競争の中で自分の栄光を追い求めるあなたの願望にどのような影響を与えるかを考えてみましょう。                                                                                     聖句                                                      ヨハネによる福音書 1:14                                                      ヨハネによる福音書 1:1-18                                                      マタイによる福音書 20:28                                                      ヘブル人への手紙 1:3
 

はじめに                                                      イザヤ43:7                                                      スポーツの世界では、名誉、賞賛、尊敬、報酬という形で栄光を受けることがあるでしょう。しかし、もしあなたがこれらの形で栄光を追い求めるようになるなら問題です。それは神のご計画とのバランスを崩すことになります。神は、あなたが神の働きによって受けたすべての栄光を神に帰すことを望んでおられるからです。                                                      ワークアウト                                                      名を上げる                                                                                     サタンがアダムとエバを誘惑し、神に背く罪を犯させるまで、エデンの園はすべてが完璧でした。サタンはプライドを利用してアダムとエバをだまし、自分たちには決して与えられるはずのないものを得る資格があると信じ込ませたのです。それ以来、この地球上のすべての人は、イエスしか置き換えることのできない罪の性質を持って生まれてきたのです。                                                                                     それから2,000年も経たないうちに(大洪水から約100年後)、徐々に増え続けていた人々は、自分たちが創造主と同じくらい強大で素晴らしい存在であると思い込みました。創世記11章にあるバベルの塔の物語は、栄光を追い求めることがどれほど危険なことかを私たちに示しています。創世記11:4                                                                                     しかし、神のご計画は違いました。創世記 11:7-8                                                                                     塔は完成することなく、その町は後にバベル(混乱)と呼ばれるようになりました。この物語は、神のものである栄光を追い求めることの無意味さを私たちに思い起こさせます。                                                                                                 自分の栄光を追い求めること                                                                                     エデンの園のアダムとエバ、バビロンの人々と同じように、私たちも、人気、賞、記録、奨学金、あるいはNIL(知名度、イメージ、肖像)契約やプロ契約によって栄光を追い求めることがあるのに気づきます。                                                      こうしたものを求めるのは、人が生まれつき持つ罪の性質が原因です。それが私たちをプライドや利己主義、アイデンティティや自尊心との葛藤、偶像崇拝へと駆り立てます。そして、神の栄光を自分のものにしようとする誘惑にかられるのです。                                                                                     しかし、神はあなたを、ご自身の栄光の重さを背負える存在として造られたのではありません。                        むしろ、あなたが神に栄光を帰し、イエスがあなたの人生のすべてにおいて完全に十分である、ということを知って平安を得るために造られたのです。                                                                                                   アスリートとして、どの様な時に自分の栄光を追い求めてしまうでしょうか?                                                                                     自分の目標を達成したとき、どれほど満たされたと感じますか? その満足感はどれくらい続きますか?                                                                                                 まとめ                                                                                     真の平安と充足を得るための第一歩は、神が意図されていないものを追い求めていることを認めることです。プライドという罪から離れ、神に近づくためには、次のことを覚えておきましょう。                                                                                                  「自分の栄光を追い求めること」は無駄な努力です。それはあなたを満たさず、神に近づけることもありません。                                                           ローマ1:20-22                                                                  神の栄光の本質をより深く理解するにつれて、私たちは、自分の栄光を追い求めることから、神の栄光を反映させることに移行し始めます。                                                                                     行動の鍵                                                      アスリートとして何を追い求めてきたかを振り返る時間を持ちましょう。それらを追い求める動機は何なのか、神はあなたの計画のどこに位置づけられるのか、真摯に自分に問いかけてみましょう。                                                                                                                                     チャレンジ:「私は自分の栄光を求めてしまうのは、自分の真のアイデンティティと目的を理解できていない。」                                                      真理:神はご自身の栄光と大いなる目的のために、愛をもってあなたを創造された。(エペソ2:10)
 

イザヤ43:7                                                      試合に勝ったとき、スポーツの目標を達成したとき、パフォーマンスで輝いたとき、記録を塗り替えたとき、それらの成功についてくる栄誉や報酬が欲しくなることは、競技者としてのあなたの自然な反応でしょう。別の言い方をすれば 「栄光 」であり、それは認知、名声、威信、誉れ、栄誉といった形でもたらされます。                                                                                     努力の結果として良い成果を得たいと願うこと自体は、本質的に悪いことではありません。しかし、それが競技者としての第一目標であるならば、あなたが望むような充実感は決して得られないでしょう。自分の真のアイデンティティと目的を理解していなければ、常に自分の栄光を追い求める誘惑に駆られることになるからです。                                                                                     ワークアウト                                                      神の形に造られて                                                      創世記の最初の2章には、天地創造の物語があります。しかし、神はご自分の作品の美しさを眺めるだけでは満足されませんでした。何かが欠けていました。第6日目、神はご自身のような存在との交わりを楽しむために、男と女を創造されました。そのデザインにおいて、何ひとつ惜しむことはありませんでした。創世記 1:26a                                                                                     外見が文化の大部分を占めるこの時代において、(あなたを含む)すべての人が神のかたちに造られたという事実は驚くべきことです。それは神の人に対する大いなる愛のゆえです。                                                                                      ・競技者として、また日常生活において、あなたはどのくらい外見のイメージについて考えますか?                                                       ・自分が神のかたちに造られたことを理解することは、自分自身の見方や、他人が自分をどのように見ているかについて、どのような影響を与えるでしょうか?                                                                                     神の栄光のために                                                      神がアダムとエバを創造したとき、彼らには存在の目的も与えられました。個人的な関係を超えて、彼らは人口を増やし、その資源を管理するために造られました。最終的に、神は人々に神の栄光を示すために造られたのです。                                                                                     アダムとエバのように、あなたもまた神のかたちに造られました。そして、同じように大いなる目的のために創造されたのです。イザヤ43:7が言うように、あなたは神の栄光のために造られたのです。                                                                                     これは、神があなたを神の偉大さ、創造性、力、主権、そして完璧さの証として造られたということです。言い換えれば、神の栄光に満ちた本質と存在を反映するために造られたのです。それは、あなたが望みうるどのような目的よりもはるかに偉大なものなのです。                                                                                                  あなたの人生の目的は何だと思いますか?                                                           あなたが神の栄光のために造られたという真実を受け入れることは、競技に対する姿勢にどのような影響を与えるでしょうか?                                                                                                 まとめ                                                      もしアイデンティティ(自分が誰であるか)や目的(なぜここにいるのか)について悩んでいるなら、以下を思い出してください:                                                                                      ・神のかたちに造られた:あなたは神が意図した通りの存在です。神のその完璧な愛が、あなたのユニークなデザインのすべての部分の背後にあります。創世記1:27                                                      ・神の栄光のために造られた:あなたは目的のために造られました。あなたが存在する最も重要な理由は、人生のあらゆる側面を通して他の人々に神を示すことです。黙示録4:11                                                                                     神が与えたアイデンティティと目的をより深く理解するにつれて、自分の栄光を追い求める生き方から、神の栄光を反映する生き方へと変わるでしょう。                                                                                     行動の鍵                                                      ハドルや一人の静かな時間に、自分のアイデンティティや目的についての疑問が、競技者としての行動にどのように影響してきたかを振り返りましょう。神の大いなる愛とあなたに対する神の神聖な目的が明らかになるにつれて、聖霊からの導きを求めてください。
 
 
  
 
