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FCA Japan Update

FCA in Action

24 Feb, 2024
アスリートになってよかったことのひとつは、チームに選ばれ、新しいユニフォームを着られることでしょう。実際にユニフォームを着て試合に出た最初の試合は言うまでもなく、高校でトップチームのユニフォームを初めて着たときの興奮と誇らしさは未だ忘れることはありません。しかし、大学へ進学して新たなユニフォームを受け取ったとたんに、高校時代のユニフォームを着ることはなくなります。高校は過去のもので、大学バスケットボールが私の現在地だからです。 私たちの人生には、過去の体験や名誉にしがみつく時期があるでしょう。私は、パウロがエペソ4章を通して、古いものを脱ぎ捨て、置くように教えていることをとても気に入っています。古いものを取り除き、新しいものに置き換える。イエスの命、死、復活を通して、私たちはイエスのうちに新しいアイデンティティと目的を持ちます。私たちの心も含めて、すべてを新しくされるのです。かつて私たちが誰であったか、何をしていたかは、もはや重要ではありません。重要なのは、神が私たちについて語っておられることであり、神が私たちを選び、愛する者と呼んでおられること。そして聖霊の力によって、私たちの心を新しくされることです。 新ユニフォームを受け取ることは、新たなシーズンがそう遠くないことを意味します。そして新しいシーズンは、私たちのチームが何かを成し遂げるかもしれないという大きな希望と興奮をもたらすでしょう。同様に神と共に歩む新しい生き方を受け取ることは、神が私たちの内に、そして私たちを通して成し遂げてくださることへの、より大きな希望と興奮を私たちにもたらします。神は私たちの思考、言葉、行動を新たにし、私たちの魂と心をリフレッシュしてくださるのです。キリストにあって新しく造られた者となる希望と喜びを受け取りましょう。古いものを捨て去り、神があなたに与えてくださる新しい約束の中に生きるのです。あなたは新しいチーム、神のチームの一員です。そして何より素晴らしいことは、誰が勝利を得るのかを知っていることです。 考えてみましょう: ・最も誇りに感じたユニフォームを覚えていますか?なぜそう思ったのですか? ・あなたの人生において、心、思考、身体、霊が新しくされるために祈りたいことはありますか? ・イエスが十字架の犠牲となって、あなたを新しくしてくださったことを感謝しましょう。
17 Jan, 2024
何年も前から、活発なピンクのウサギが登場するコマーシャルがあります。彼はエナジャイザー・バニーとして知られ、エナジャイザーという会社の電池を宣伝しています。そのスローガンは、電池はウサギのようにどんどん動き続け、長持ちするパワーを示すというものです。このコマーシャルは、これまでに無かった素晴らしいマーケティング戦略でしょう。 私たちは、休憩や リセットのために立ち止ま らず 、ひたすら前進し続けるなら、燃え尽きるか、少なくとも生産性と集中力が著しく低下するに 性質が あ ります 。しかし、コーチング、競技、ある いは神のために働くという、最も崇高な大義や情熱の名の下に、私たちは自分自身に対してエナジャイザー・バニーの様に動き続けていませんか?私たちは皆、それぞれのチームを準備するためにたゆまぬ努力を続けるコーチ や、いつもジムにいるアスリート、そして 生活のために働き続ける社会人 。 私たちは そのうちの一人 かもし れ ません。 聖書に登場する二人の姉妹は、毎日毎日がむしゃらに働くことがどのようなことなのか、そしてリセットボタンを押すことがどのようなことなのかを私たちに教えてくれています。マルタは、奮闘と奉仕に全力を注いてでいました。それは彼女の愛の言葉と言ってもいいでしょう。問題は、彼女が主であり救い主と共に過ごすこと以外に目が向いていたことです。ルカによる福音書を読むと、マルタは姉妹であるマリアが手伝ってくれないことに苛立ったことがわかります。一方、マリアは、リセットボタンを押すとはどういうことかを示す生きた模範です。マリアは、マルタと共に手伝うこともあったでしょう。しかし、イエスが現れたとき、マリアは立ち止まってイエスの前に座り、イエスを礼拝し、慕い求め、イエスに耳を傾けることにしたのです。マルタがイエスに不満を漏らし、マリアに助けを求めたとき、イエスはマリアがその瞬間、イエスと共にいることを正しく決断したことを思い出させました。大事なのは、時には一歩下がってゆっくりし、神の臨在にとどまり、神が私たちの優先順位を変え、リセットしてくださるようにすることなのです。 私たちは一日24時間、週7日、時速100マイルで走ることはできません。ただ主の御前に座っていることに大きな知恵があることを、マリアから学 びましょう。 考えてみましょう: 1. 休みなく仕事に打ち込み疲れ果てると、あなたはどの様になりますか? 2. あなたが神との歩みを楽しむためにペースを落とすと、あなたはどの様になりますか? 3. 主と共に過ごすことで、どのような恩恵を受けましたか?
By Japan Staff 08 Jan, 2024
毎日をどの様に過ごしていますか?
By Dan Britton 08 Dec, 2023
あなたの人生に最も影響を与えた人々について考えてみましょう。彼らは自分の成功だけに焦点を当てた人でしたか?それとも無私無欲で他人に仕えた人でしたか?注目を集めることなく自身を惜しみなく提供する人は、最も大きな影響を残すことがよくあります。 クレイグは私の人生におけるそうした人物の一人でした。彼は私の高校の青少年グループボランティアで、決して表立って発言したり、グループをリードすることはありませんでしたが、舞台裏で私や多くの人を支えてくれた人でした。彼は私の家に現れトレーニングを手伝い、一緒に走りに行き、一緒に祈ってくれました。彼は私を愛し、気遣い、仕えてくれました。そして、自分の利益のために行っているところを誰も目撃しない歩みは私の人生に大きな影響を与えました。 今日、人々は注目を浴びて認められるよう努めています。しかし、無私の奉仕の力を覚えておくことが重要です。他人に仕えることは弱さの表れではありません。他人を優先することを選択すると、私たちは充実感の泉に満たされます。真の素晴らしさは、自分の賜物や才能をどのように使って周囲の人々の生活を祝福するかにあられます。イエスは無私無欲の究極の模範を示しました。イエスは弟子たちの足を洗い、病人を癒し、人々のために命を捧げました。 あなたは、犠牲的かつ謙虚な方法で他の人に仕える意欲がありますか?不平不満はありませんか?賞賛、感謝、励ましがなくても平気ですか?ただ仕える喜びを味わいたいという純粋な願望はありますか?仕えることに夢中ですか?周りで傷ついている人々に仕える情熱はありますか?奉仕における究極の目的はキリストの栄光を讃えることであることをご存知ですか? リック・ウォーレン牧師は、「世界は権力、所有物、名声、地位の観点から素晴らしさを定義します。ですから『自分第一』の精神を持つ利己的な文化においては、奉仕者のように振る舞うことは決して注目されるものではありません。しかし、私たちは他者に仕えることで神に仕えるのです。」と語った。私たちは「自分第一」の考え方に苦しんでいます。私たちは、特にスポーツの世界に関しては、自分の才能や業績のせいで他人よりも優れているという嘘を信じてしまいます。 人に仕えるときは、意図的、積極的であり、親密さが必要です。奉仕に対する私たちの情熱は心から出たものでなければなりません。サミュエル・チャドウィックは、「霊に満たされた魂は神のために燃えています。彼らは輝く愛で愛します。彼らは燃え上がる信仰で仕えます。彼らは献身的に仕えます。彼らは燃えるような激しさで罪を憎みます。彼らは喜びます。喜びが放射され、愛は神の火の中で完成されるのです。」 私は、FCA の価値観の 1 つが誠実さ、チームワーク、卓越性と並んで奉仕であることが大好きです。基本的な価値観は、競争の場の内外を問わず、あらゆる関係において実践される必要があります。私たちFCAは単なるスポーツミニストリーではなく、仕えていく働きとして知られることを望んでいます。スポーツには、イエスの手足となる意欲のあるコーチや選手が切実に必要とされています。私たちの願いは、スタッフやボランティアが毎日起きて、「主よ、今日は誰に仕えればよいでしょうか?」とただ祈ることです。このたった一つの祈りがスポーツの世界を変えるかもしれません。コーチ、アスリート、スタッフ、サポーター、ボランティア、保護者の方々が無私無欲かつ犠牲的に奉仕する姿を見るのが待ちきれません。 イエスは考えられないことを行いました。リーダーシップを「仕えること」と再定義したのです。ヨハネによる福音書13 章で、イエスは私たちに明確な例を示し、私たちも同じようにすべきだと言いました。それが「奉仕に関する 10 の理不尽な掟」をまとめた理由です。これらは私がキリストのように仕えるのを助けてくれました。私たちの生きる世界では、仕えるのではなく導くように、ひざまずくのではなく立ち上がるように、タオルではなくマイクを掴むようにと理不尽ながら教えられています。しかし、神は私たちに心を尽くして仕えることによって、思いもよらないことや理不尽なことをあえてするよう呼びかけておられるのです。 1. 奉仕は義務ではなく愛です。奉仕は、作られた努力ではなく、自然にあふれ出るものであるべきです。奉仕は、単調な仕事ではなく、願望から生まれます。 2. 奉仕とはプロジェクトではなく、関係性です。あなたは何かを達成すること、または誰かを祝福することのどちらに重点を置いていますか? 3. 奉仕するのは自分のためではなく、他人のためです。自制は奉仕の核心です。自分のことばかり考えている状態で人に仕えられないのです。 4. 奉仕には犠牲が伴い、片手間でやるものではありません。犠牲は常に重要な要素です。 5. 奉仕する私たちは所有者ではなく世話役です。奉仕のやり方をコントロールしていませんか?奉仕による祝福は私たちではなく神が所有しているのです。 6. 奉仕は認知度を高めるものではありません。仕えるときは謙虚さが大事です。認知を求めるものではないのです。 7. 奉仕は手ではなく心で行うものです。奉仕は内部の働きです。批判的で不安な心のままで仕えることはできません。 8. 奉仕は人ではなく神に関するものです。私たちには神の心が必要です。神を利用するのではなく、神の目的のために神に用いられてください。 9. 奉仕は義務ではなく機会です。喜びは奉仕の副産物です。それは簡単ではなく、難しいことでしょう。 10. 奉仕するという選択肢はありません。イエスは私たちに例を示しました。私たちは奉仕しなければなりません。 私たちは奉仕を徹底的に取り組む必要があります。もし私たちがこの10の掟を実行し、家族、チームメイト、仲間、コミュニティのために情熱を注いだらどうなるでしょうか?その革命は私たちから始めるべきではないでしょうか?覚えておいてください。イエスは世を導くためではなく、世に仕えるために来たのであり、私たちから始まるのです。 父よ、私は毎日「自分第一」の精神と戦っています。あなたの前で私の自己中心さを告白します。私は奉仕することに夢中になる人でありたいと思っています。あなたの掟に従い、仕える者になりたいです。自分の必要よりも他人の必要を優先することに喜びと充実感を見出せるように教えてください。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。 翻訳元:https://www.fca.org/fca-in-action/blog-detail/2023/11/30/the-10-irrational-laws-of-serving 
09 Nov, 2023
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09 Oct, 2023
スタメンに入れない、トップチームに選ばれない時に感じる気持ち。膝に強い痛みを感じた時の違和感。大事な試合の日にテストが重なり行けないことがわかった時、私たちの心は大きく沈み込み落胆します。 失望は私たちの心に深く切り込み、夢は一瞬にして崩れ去り、現実は今までと違った世界に見えていきます。 先が見えない様な時、私たちはどうすれば良いでしょうか? 気分が晴れず、満たされない希望や届かない夢で心が重くなる時、神様はあなたのすぐそばにおられることを知っていて欲しいです。 逆説的な考え方ですが、人生における傷は私たちのために働き、神様はすべてのことを益のために用いられ、その中には怪我や、拒絶さえも含まれます。神様は私たちが結果を出すこと以上に、私たちの心がどの様に成長していくかに関心があり、もし私たちが自分の中にある傷ついた所に神様が入ることを許し、その所を通して神様が何を囁いておられるかに耳を傾けるなら、成長がもたらされるのです。 大きな成長。永続的な成長。研ぎ澄まされた成長。神様は私たちの失望を、目的と命を与えるすべての善き実を人生に実らせていく道を作るために用いられるのです。神様の願いは、私たちが他の人々のために、そして私たち自身の神との関係のために実を結ぶことです。ヨハネによる福音書15章では、イエスはぶどうの木と枝、庭師と実、留まりと関係を描かれています。(ヨハネによる福音書15:8)イエスとの継続的で個人的な関係が私たちの人生に霊的な実を結ぶように、勇気を与えて忍耐を生み、私たちの人格を成長させていきます。 結局のところ、神様は試練に対する勇気により、前方に目を向けるために必要な希望を与えてくださるのです。そして、その過程で、私たちのうちに良い実を結ばせてくださいます。 私たちの失望は、勇気により私たちを実らせることにつながるのです: 新たな実 神様のご性質は良い状況であろうと悪い状況であろうと表れ、御子イエスの姿に似た者へと変えられ、洗練された信仰の構築を私たちの上になされます。良いことも、悪いことも、その中間も、私たちの成長には何一つ無駄なものはなく、試練を経なければ決して経験できなかったような方法で、神のご性質をより多く経験することができるのです。(ヤコブ1:2-3) 良い実 このような神 のご 性質 を経験して 成長すれば、あなたにとって有益なだけでなく、他人を助けることもできる でしょう 。あなたの周りで、耳を傾けてくれる人、賢明な言葉をかけてくれる人、イエスを指し示す心を必要としている人は いませんか ?神 様 が私たちの人生に御霊の実を結ばせてくださる なら 、他の人々に も実らさずに はいられないのです。 (コロサイ1:10) ずっと続く実 この実は即効性のあるものだけではありません。継続して生み出すことができ、周囲の人々に長期的な影響を与えます。私たちの最終的なゴールはキリストに似た者であり、私たちを安定させ、神様の御言葉に深く植え付け、永続する知恵、恵み、平安を生み出す着実な一貫性であるのです。(詩篇1:3) 神 様 は私たちが近づき、神の愛にとどまることを望んでおられ ます 。 試練の中にあっても 私たちが神様の 下に とどまるなら、与え ようとされる神様の 実を 受け取れるでしょう 。辛いこと かもしれませんが 、 試練 は私たちの霊的成長に一役買っている のです 。失意を通して神 様 を深く見ることができ、神 様 は私たちを強めてくださるので、他の人々が自分自身の苦難に直面したときに、私たちが慰めの源となります 。痛みは私たちをイエスへと導きます。イエスは私たちの幸福のためにもっと大きな計画を持っておられ、それはイエスの栄光と私たちの益のために、より大きな力へと発展させることができるのです。 人々、スポーツ、状況が私たちを失望させるかもしれませんが、イエスは決して失望させることはないのです。 さらに成長するために: (ヨハネ3:30) 質問: 試練にどう対処しますか?試練があなたの人格を形成する助けとなることを知っているあなたは、試練にどのように向き合えますか? チャレンジ:試練の中で神様が助けてくださるという聖書の一節を、困難に直面している人と分かち合いましょう。 
11 Jul, 2023
私たちは、自分の中にある未開発の潜在能力についてよく耳にするでしょう。潜在能力を解放できたら、最高の人生を送ることができる。そこに達成しようと懸命に努力し、本やインターネット、SNS、動画に答えを求めて多くの時間を費やします。 私たちは究極の目的と可能性に到達したいと思っていますが、スポーツにアイデンティティを見出すなら、私たちは満たされることなく、常に尽きることのない結果を追い求めていくことになるでしょう。残念ながら、そこに平安はなく、神と共により大きな可能性に目を向ける必要があるのです。 未開拓の可能性 もしかしたら、あなたはトップチームに挑戦して2軍チームになったかもしれません。あるいは、スピードや筋力、成績を向上させるのに苦労しているかもしれません。全力を尽くしても、決して十分とは思えないかもしれません。 選手であれば、練習や試合中に、自分にはもっと可能性があると感じるのは自然なことです。そして、期待に応えられていないと感じると、プレッシャーがかかり始めるでしょう。 期待というのは、コーチや両親、チームやサポーターから来ることもあれば、自分自身から来ることもあります。 世の中の潜在能力に対する考え方は、あなたにはもっと大きな栄光(勝利)が待っている、もっと大きな(プロ契約や大金を掴む)可能性を秘めているという意味があるでしょう。それは自己実現のためであり、この世の成功であり、自分に利益をもたらすために生きるためとも言えます。 ですから目標を達成できないなら失敗と感じるかもしれません。しかし、神の視点は違います。あなたの人生には、スポーツにアイデンティティを見出すよりも素晴らしい世界が待っているのです。 自分自身だけでできること以上に、自分の潜在能力を発揮することはあります。人生には大舞台での成功を追求すること以外にも、さまざまな価値があります。実際に、あなたの潜在能力は単にスポーツの結果だけで測られるべきではありません。それは、神があなたがどのような存在であるかで測られるべきです。 神があなたの中に見ておられる可能性、神がイエスを通して私たちに与えてくださった可能性について、神は何を語っておられるのでしょうか。 世間は、神が見るのとは違った見方で可能性を見ています。神は御子イエスのレンズを通して私たちの可能性を見ておられます。イエスは私たちに新しい生き方を与え、私たちがはまり込んでしまった影のある場所を照らすために戦ってくださったのです。 ヨハネによる福音書8:12 真の光 ヨハネによる福音書には、イエスの働きの始まりが描かれています。彼の従兄弟であり情熱的な説教者バプテスマのヨハネは、イエスの到来を人々に備える活動しました。ヨハネは大きな働きをし、人々も彼を偉大な存在と考えましたが、ヨハネ自身はさらに偉大な方が来ることを知っていました。 ヨハネはイエスの到来について説教する中で、多くの宗教的指導者たちはこの存在を気にしていました。彼らは、成果を重視するシステムの下で快適に生活していたからです。もし仕事がうまくいけば、あなたはよい人だとされました。しかし、イエスにはより良い道がありました。彼の道とは、暗い世界に光をもたらすことです。 ヨハネによる福音書1:9-10 その中に問題があります。「世界は彼を認識しなかった」ということです。同様に、私たちも自分の真の潜在能力の源がイエスであることに気付かないために、自分の全ての可能性に到達することができません。 スポーツには勝つこと以上のものがあります。結果重視に陥るのは簡単な罠ですが、キリストを通じて自分の真の潜在能力を認識し始めると、人生が変わります。バプテスマのヨハネは、神の子羊の到来を告げる先駆者として道を切り開いた時に、自分の役割とイエスの役割を認識しました。 ヨハネによる福音書3:30 イエスにある「より大きな可能性 」に目を向けましょう: 大いなる道 :あなたの可能性を最大限に引き出す、より良い方法があります。それはあなたを神へ到達させる唯一の道です。ヨハネによる福音書14:6 偉大な真理 : 単 に 大 きな 真実で はありません 。真理 です 。イエスの真理を受け入れるとき、あなたはプレッシャーからの解放を経験し、神があなたに与えた賜物の背後にある目的を見出すことができる 様になります。ヨハネによる福音書8:32 豊かな命 : これはイエスとの関係を通してイエスがあなたに与えてくださるものです。イエスに焦点を当てた人生を通して、より多くの喜び、平安、そして目的がもたらされるのです。 ヨハネによる福音書10:10 覚えましょう: あなたの人生には、スポーツにアイデンティティを見出すよりも大きな可能性があります。 バプテスマのヨハネは、イエスにあってより大きな可能性を生きることの意味を理解していました。何をするかではなく、あなた自身です。何が心配ですか?キリストにあって、あなたはすでに選ばれています。チームメイトに良い印象を与えようとすることにとらわれていませんか?イエスはあなたに才能を与えてくださったお方であり、あなたを通して導いてくださろうとしています。自分を満たすためではなく、代わりにチームメイトに奉仕することを求めましょう!
12 Jun, 2023
陸上部に入部したとき、私のアイデンティティはスポーツにありました。自分の価値や値打ちは、自分の成績がそのまま反映されるものと考えていました。もし、私が良い成績を収め、スタッツが上がれば、私の価値観や価値観もそうなりました。逆に、成績が悪かったり、調子が悪かったりすると、自分の気持ちもその成績に連動してしまいます。スポーツは私のアイデンティティだったのです。しかし、コーチの影響によって、主は私の人生を掴み、私のアイデンティティがどこにあるのかを明らかにされました。 あなたのアイデンティティは、あなたが何をしたかによって決まるのではなく、イエスが私たちのために何をしてくださったかによって決まります!私たちの価値はイエスの罪のない人生、十字架上の贖罪の死、そして復活に由来しており、イエスの完全な愛と究極の犠牲は、本質的な価値を提供します。私たちが恵みの贈り物を受け取るとき、私たちの人生は変わることができます。私たちのアイデンティティは、イエスがなさったことの中にあり、誰に従うかの中に見出されるのです。 ヨハネによる福音書15章の中で、イエスは弟子たちに、ご自分のうちに留まるようにと呼びかけています。悲嘆にくれる困難の最中から、信じられないような山頂の瞬間まで、あらゆる状況において主のうちにとどまりなさいという、主からの驚くべき招きです。この自由は、世の中の承認を求める鎖からの解放であり、人生のすべての領域で主をたたえることに専念する人生を送る力を与えてくれています。使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙2章20節で、ガラテヤの教会にこの真理を思い起こさせています。 競技者として、私たちは福音の真理が私たちのアイデンティティを変えることを受け入れなければなりません。私たちのアイデンティティをキリストのみに置き、その自由がパフォーマンスのプレッシャーから解放してくれるようにしましょう。自分の名前のためではなく、イエスの名前のために、より高いパフォーマンスを発揮できるように努力しましょう。 考えてみよう: 1. キリストにある自分のアイデンティティを日々思い出すにはどうしたらいいでしょうか? 2. キリストにあるアイデンティティをチームに反映させる方法は何ですか? 
15 May, 2023
どんな競技でも、ルールの中で相手に勝利することが目標となります。スポーツの楽しさは、自分の持てる力をすべて出し切り、勝利を手にしたときに見出すでしょう。その爽快感は、次の試合まで待てないほどです。競技中は、山あり谷ありで、それを「モメンタムスイング(勢いにより流れを変え勝利を引き寄せる)」と呼んでいます。この勢いがあるときは無敵に感じ、相手は弱く見えるでしょう。 クリスチャンとして私たちの過ちは、勝ったときに過大な評価を受け、負けたときに過大な責任を負わされることです。勝ったときも負けたときも、私たちが謙虚になろうとする想いを奪い、絶望に陥れることを目的とした敵がいます。この敵は、私たちが主により頼み、力を求めないようにし、自己憐憫と無価値感に浸ることを望んでいます。しかし、私たちが真の勝利の源であるイエスに焦点を当てるとき、私たちはどんな相手にも打ち勝つことができるのです。ヨハネによる福音書8章12節で、イエスはよく照らされた道と安全な着陸を約束しています。私たちは、キリストの犠牲的な愛と私たちの人生に対する救いの約束に基づき、これを完全に信頼することができます。私たちは、この安全な場所から私たちを引き離そうとする相手に対して、キリストとキリストのみによって勝利することができることを、競争しながら覚えておきましょう。私たちの勝利は、私たちの中に住んでおられ、誰よりも、何ものよりも偉大なお方からもたらされるのです。 私たちが競争においてこの勝利を収めるとき、主は私たちに能力を与えてくださいます。どんなこの世の約束や勝利よりも、キリストの中に大きな可能性があることを知りながら、今日も競技に励んでください。 1. あなたやあなたのチームが、勝利のために全力を尽くしたときのことを思い出してみましょう。 2. 神様は、勝利の時も敗北の時も神様を信頼することを、あなたにどのように教えておられますか? あわせて読んでみましょう 第1ヨハネ5:5、ローマ8:35、37、第2コリント10:4、ヨハネ16:33 お祈り 「父よ、あなたが私に与えてくださる大きな可能性に感謝します。勝利の時には謙遜に、敗北の時には希望に満ちた態度でいられるように教えてください。聖霊が私の中に住んでいて、この世やあなたから私を遠ざけようとするものや人に対して打ち勝つことから助けてくださって感謝します。イエスの十字架のみ業と復活のおかげで、私は克服者であることを知ります。イエスの御名において。アーメン」
22 Apr, 2023
アスリートとして自分の可能性を垣間見ることができ、成長を実感できるのは、とてもエキサイティングなことです。しかし、それは単に向上や達成、勝利のためだけなのでしょうか?もしそうなら、その興奮は長くは続かないでしょう。 世界は名声、成功、地位を約束しますが、それは蜃気楼であり、世界の成功の灯が消え、苦難の季節に残されたとき、私たちは空しくなります。確かに、スポットライトを浴び、大観衆の歓声に包まれているときは興奮するでしょう。しかし、スタジアムが空っぽになり、照明が消された後はどうでしょうか。私たちの名前を歌ってくれたファンも、シーズンが過ぎれば私たちのことは覚えていないでしょうし、成功したときにあなたを持ち上げてくれた声も、あなたを持ち上げる言葉が必要なときには聞こえなくなるでしょう。 スポーツに没頭するのは簡単ですが、没頭し過ぎると空っぽになってしまい注意が必要です。ですから、神はスポーツの成功によって得られるものよりも、イエスが与える素晴らしい約束に目を留めて欲しい願っておられるのです。 イエスが宣教を始めたとき、多くの宗教指導者たちはイエスの到着を不安に思っていました。彼らのほとんどは、自分より偉い人がいるという考えが気に入らなかったようです。一部の人を除いては。 光の中で ニコデモのアイデンティティは、自分の仕事と地位に包まれていました。業績を上げなければならないというプレッシャーを感じていましたが、彼が本当に必要としていたのは「真理」でだったのです。それまでニコデモは、神様のことは何でも知っていましたが、本当の意味で神様を知っていたわけではありません。宗教のルールに固執することで、関係を持つことを妨げていたのです。しかし、イエスはニコデモに真理の光を示し、永遠の命という大きな約束を明らかにされました。(ヨハネによる福音書3:16-18) ニコデモは暗闇の中でイエスのもとにやってきましたが、この力強い言葉のおかげで、心から光の中に足を踏み入れようとしたのです。(ヨハネによる福音書3:19-21) その夜、ニコデモは神の約束の光の中に足を踏み入れました。イエスに出会ってから、彼はもはや自分に何ができるかにとらわれることなく、代わりに、神が自分を通して、神の栄光のために何ができるかを見ようとするようになったのです。 私たちは、世の中のスポットライトから、神の約束の光の中に足を踏み入れることを望んでいるのでしょうか。 これは、神が私たちを愛するあまり、イエスを遣わして私たちと同じ人となってくださったという、素晴らしい約束です。イエスは、私たちにはできない完璧な人生を送り、私たちに父への道を示してくださいました(使徒言行録4:12)。従順で謙虚なイエスは、地上にもたらされる永遠の御国に焦点を当て続け、十字架にかかりながら世の罪を自ら背負いました。そして、私たちがもはや神から引き離されることなく、永遠に神と共にあることができるように、死に打ち勝つために復活したのです。死と復活を通して、イエスは神の愛への道を開き、私たちを自由と光、そして永遠の命へと導いてくださいました。(ヨハネによる福音書3:16) ここではイエスの素晴らしい約束がもたらす3つの驚くべきことを紹介します: 素晴らしい愛: 好きなスポーツを続けるためなら、何でもやり、競技を通じて得られる喜びや利益は大きいでしょう。しかし、イエスによって、もっと素晴らしい、永遠に続く犠牲的な愛があります!この愛によって、私たちは、コートやフィールドでどのような結果を出しても、神様に認められていることを確信することができます。この愛によって、私たちは、自分の成績を気にすることなく、純粋に競技を楽しむことができるようになるのです。(ヨハネによる福音書15:9) 素晴らしいギフト: 私たちの能力は贈り物ですが、それがなくなる前に、多くの幸福をもたらすことができます。ありがたいことに、神は永遠に続く、より素晴らしい贈り物を持っています!イエスにおいて、私たちは、イエスが私たちに与えてくださったもの、すなわち、永遠の命と、この地上での完全な命を思い起こすのです。このことは、私たちを喜びで満たし、私たちのすべての言動は、この贈り物の溢れるところから生まれるはずです。神様はあなたにスポーツの才能を授けました。あなたがそれをどのように使うかが、神様への贈り物です。(ヨハネによる福音書3:17) 素晴らしいアイデンティティ: 競争は、他人の期待や世間が言うことではなく、キリストに自分のアイデンティティを見出すとき、全く新しい意味を持つようになります。神の家族の一員であることの充実感や、神があなたの人生に抱いておられる計画を経験し始めると、いいことがありますよ。(ヨハネによる福音書1:12) 思い出してください: キリストの救いの約束は、私に新しいアイデンティティを与えてくれます。 私たちのアイデンティティは、すぐに他人の評価に影響されがちですが、私たちが喜んで身につける真のアイデンティティは、イエスの死と復活なのです。私たちは、すぐに色あせてしまうこの世のものに絡め取られてしまうかもしれません。しかし、神はあなたをそれ以上のもののために創造したという素晴らしい知らせがあり、私たちはその約束の中で生き、プレーすることができるのです! 私たちの目標は、常にヨハネによる福音書3:30に戻ってくることです。 Article By Sarah Freymuth https://www.fcagreater.org/greater-promise
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24 Feb, 2024
アスリートになってよかったことのひとつは、チームに選ばれ、新しいユニフォームを着られることでしょう。実際にユニフォームを着て試合に出た最初の試合は言うまでもなく、高校でトップチームのユニフォームを初めて着たときの興奮と誇らしさは未だ忘れることはありません。しかし、大学へ進学して新たなユニフォームを受け取ったとたんに、高校時代のユニフォームを着ることはなくなります。高校は過去のもので、大学バスケットボールが私の現在地だからです。 私たちの人生には、過去の体験や名誉にしがみつく時期があるでしょう。私は、パウロがエペソ4章を通して、古いものを脱ぎ捨て、置くように教えていることをとても気に入っています。古いものを取り除き、新しいものに置き換える。イエスの命、死、復活を通して、私たちはイエスのうちに新しいアイデンティティと目的を持ちます。私たちの心も含めて、すべてを新しくされるのです。かつて私たちが誰であったか、何をしていたかは、もはや重要ではありません。重要なのは、神が私たちについて語っておられることであり、神が私たちを選び、愛する者と呼んでおられること。そして聖霊の力によって、私たちの心を新しくされることです。 新ユニフォームを受け取ることは、新たなシーズンがそう遠くないことを意味します。そして新しいシーズンは、私たちのチームが何かを成し遂げるかもしれないという大きな希望と興奮をもたらすでしょう。同様に神と共に歩む新しい生き方を受け取ることは、神が私たちの内に、そして私たちを通して成し遂げてくださることへの、より大きな希望と興奮を私たちにもたらします。神は私たちの思考、言葉、行動を新たにし、私たちの魂と心をリフレッシュしてくださるのです。キリストにあって新しく造られた者となる希望と喜びを受け取りましょう。古いものを捨て去り、神があなたに与えてくださる新しい約束の中に生きるのです。あなたは新しいチーム、神のチームの一員です。そして何より素晴らしいことは、誰が勝利を得るのかを知っていることです。 考えてみましょう: ・最も誇りに感じたユニフォームを覚えていますか?なぜそう思ったのですか? ・あなたの人生において、心、思考、身体、霊が新しくされるために祈りたいことはありますか? ・イエスが十字架の犠牲となって、あなたを新しくしてくださったことを感謝しましょう。
17 Jan, 2024
何年も前から、活発なピンクのウサギが登場するコマーシャルがあります。彼はエナジャイザー・バニーとして知られ、エナジャイザーという会社の電池を宣伝しています。そのスローガンは、電池はウサギのようにどんどん動き続け、長持ちするパワーを示すというものです。このコマーシャルは、これまでに無かった素晴らしいマーケティング戦略でしょう。 私たちは、休憩や リセットのために立ち止ま らず 、ひたすら前進し続けるなら、燃え尽きるか、少なくとも生産性と集中力が著しく低下するに 性質が あ ります 。しかし、コーチング、競技、ある いは神のために働くという、最も崇高な大義や情熱の名の下に、私たちは自分自身に対してエナジャイザー・バニーの様に動き続けていませんか?私たちは皆、それぞれのチームを準備するためにたゆまぬ努力を続けるコーチ や、いつもジムにいるアスリート、そして 生活のために働き続ける社会人 。 私たちは そのうちの一人 かもし れ ません。 聖書に登場する二人の姉妹は、毎日毎日がむしゃらに働くことがどのようなことなのか、そしてリセットボタンを押すことがどのようなことなのかを私たちに教えてくれています。マルタは、奮闘と奉仕に全力を注いてでいました。それは彼女の愛の言葉と言ってもいいでしょう。問題は、彼女が主であり救い主と共に過ごすこと以外に目が向いていたことです。ルカによる福音書を読むと、マルタは姉妹であるマリアが手伝ってくれないことに苛立ったことがわかります。一方、マリアは、リセットボタンを押すとはどういうことかを示す生きた模範です。マリアは、マルタと共に手伝うこともあったでしょう。しかし、イエスが現れたとき、マリアは立ち止まってイエスの前に座り、イエスを礼拝し、慕い求め、イエスに耳を傾けることにしたのです。マルタがイエスに不満を漏らし、マリアに助けを求めたとき、イエスはマリアがその瞬間、イエスと共にいることを正しく決断したことを思い出させました。大事なのは、時には一歩下がってゆっくりし、神の臨在にとどまり、神が私たちの優先順位を変え、リセットしてくださるようにすることなのです。 私たちは一日24時間、週7日、時速100マイルで走ることはできません。ただ主の御前に座っていることに大きな知恵があることを、マリアから学 びましょう。 考えてみましょう: 1. 休みなく仕事に打ち込み疲れ果てると、あなたはどの様になりますか? 2. あなたが神との歩みを楽しむためにペースを落とすと、あなたはどの様になりますか? 3. 主と共に過ごすことで、どのような恩恵を受けましたか?
By Japan Staff 08 Jan, 2024
毎日をどの様に過ごしていますか?
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24 Feb, 2024
アスリートになってよかったことのひとつは、チームに選ばれ、新しいユニフォームを着られることでしょう。実際にユニフォームを着て試合に出た最初の試合は言うまでもなく、高校でトップチームのユニフォームを初めて着たときの興奮と誇らしさは未だ忘れることはありません。しかし、大学へ進学して新たなユニフォームを受け取ったとたんに、高校時代のユニフォームを着ることはなくなります。高校は過去のもので、大学バスケットボールが私の現在地だからです。 私たちの人生には、過去の体験や名誉にしがみつく時期があるでしょう。私は、パウロがエペソ4章を通して、古いものを脱ぎ捨て、置くように教えていることをとても気に入っています。古いものを取り除き、新しいものに置き換える。イエスの命、死、復活を通して、私たちはイエスのうちに新しいアイデンティティと目的を持ちます。私たちの心も含めて、すべてを新しくされるのです。かつて私たちが誰であったか、何をしていたかは、もはや重要ではありません。重要なのは、神が私たちについて語っておられることであり、神が私たちを選び、愛する者と呼んでおられること。そして聖霊の力によって、私たちの心を新しくされることです。 新ユニフォームを受け取ることは、新たなシーズンがそう遠くないことを意味します。そして新しいシーズンは、私たちのチームが何かを成し遂げるかもしれないという大きな希望と興奮をもたらすでしょう。同様に神と共に歩む新しい生き方を受け取ることは、神が私たちの内に、そして私たちを通して成し遂げてくださることへの、より大きな希望と興奮を私たちにもたらします。神は私たちの思考、言葉、行動を新たにし、私たちの魂と心をリフレッシュしてくださるのです。キリストにあって新しく造られた者となる希望と喜びを受け取りましょう。古いものを捨て去り、神があなたに与えてくださる新しい約束の中に生きるのです。あなたは新しいチーム、神のチームの一員です。そして何より素晴らしいことは、誰が勝利を得るのかを知っていることです。 考えてみましょう: ・最も誇りに感じたユニフォームを覚えていますか?なぜそう思ったのですか? ・あなたの人生において、心、思考、身体、霊が新しくされるために祈りたいことはありますか? ・イエスが十字架の犠牲となって、あなたを新しくしてくださったことを感謝しましょう。
17 Jan, 2024
何年も前から、活発なピンクのウサギが登場するコマーシャルがあります。彼はエナジャイザー・バニーとして知られ、エナジャイザーという会社の電池を宣伝しています。そのスローガンは、電池はウサギのようにどんどん動き続け、長持ちするパワーを示すというものです。このコマーシャルは、これまでに無かった素晴らしいマーケティング戦略でしょう。 私たちは、休憩や リセットのために立ち止ま らず 、ひたすら前進し続けるなら、燃え尽きるか、少なくとも生産性と集中力が著しく低下するに 性質が あ ります 。しかし、コーチング、競技、ある いは神のために働くという、最も崇高な大義や情熱の名の下に、私たちは自分自身に対してエナジャイザー・バニーの様に動き続けていませんか?私たちは皆、それぞれのチームを準備するためにたゆまぬ努力を続けるコーチ や、いつもジムにいるアスリート、そして 生活のために働き続ける社会人 。 私たちは そのうちの一人 かもし れ ません。 聖書に登場する二人の姉妹は、毎日毎日がむしゃらに働くことがどのようなことなのか、そしてリセットボタンを押すことがどのようなことなのかを私たちに教えてくれています。マルタは、奮闘と奉仕に全力を注いてでいました。それは彼女の愛の言葉と言ってもいいでしょう。問題は、彼女が主であり救い主と共に過ごすこと以外に目が向いていたことです。ルカによる福音書を読むと、マルタは姉妹であるマリアが手伝ってくれないことに苛立ったことがわかります。一方、マリアは、リセットボタンを押すとはどういうことかを示す生きた模範です。マリアは、マルタと共に手伝うこともあったでしょう。しかし、イエスが現れたとき、マリアは立ち止まってイエスの前に座り、イエスを礼拝し、慕い求め、イエスに耳を傾けることにしたのです。マルタがイエスに不満を漏らし、マリアに助けを求めたとき、イエスはマリアがその瞬間、イエスと共にいることを正しく決断したことを思い出させました。大事なのは、時には一歩下がってゆっくりし、神の臨在にとどまり、神が私たちの優先順位を変え、リセットしてくださるようにすることなのです。 私たちは一日24時間、週7日、時速100マイルで走ることはできません。ただ主の御前に座っていることに大きな知恵があることを、マリアから学 びましょう。 考えてみましょう: 1. 休みなく仕事に打ち込み疲れ果てると、あなたはどの様になりますか? 2. あなたが神との歩みを楽しむためにペースを落とすと、あなたはどの様になりますか? 3. 主と共に過ごすことで、どのような恩恵を受けましたか?
By Japan Staff 08 Jan, 2024
毎日をどの様に過ごしていますか?
By Dan Britton 08 Dec, 2023
あなたの人生に最も影響を与えた人々について考えてみましょう。彼らは自分の成功だけに焦点を当てた人でしたか?それとも無私無欲で他人に仕えた人でしたか?注目を集めることなく自身を惜しみなく提供する人は、最も大きな影響を残すことがよくあります。 クレイグは私の人生におけるそうした人物の一人でした。彼は私の高校の青少年グループボランティアで、決して表立って発言したり、グループをリードすることはありませんでしたが、舞台裏で私や多くの人を支えてくれた人でした。彼は私の家に現れトレーニングを手伝い、一緒に走りに行き、一緒に祈ってくれました。彼は私を愛し、気遣い、仕えてくれました。そして、自分の利益のために行っているところを誰も目撃しない歩みは私の人生に大きな影響を与えました。 今日、人々は注目を浴びて認められるよう努めています。しかし、無私の奉仕の力を覚えておくことが重要です。他人に仕えることは弱さの表れではありません。他人を優先することを選択すると、私たちは充実感の泉に満たされます。真の素晴らしさは、自分の賜物や才能をどのように使って周囲の人々の生活を祝福するかにあられます。イエスは無私無欲の究極の模範を示しました。イエスは弟子たちの足を洗い、病人を癒し、人々のために命を捧げました。 あなたは、犠牲的かつ謙虚な方法で他の人に仕える意欲がありますか?不平不満はありませんか?賞賛、感謝、励ましがなくても平気ですか?ただ仕える喜びを味わいたいという純粋な願望はありますか?仕えることに夢中ですか?周りで傷ついている人々に仕える情熱はありますか?奉仕における究極の目的はキリストの栄光を讃えることであることをご存知ですか? リック・ウォーレン牧師は、「世界は権力、所有物、名声、地位の観点から素晴らしさを定義します。ですから『自分第一』の精神を持つ利己的な文化においては、奉仕者のように振る舞うことは決して注目されるものではありません。しかし、私たちは他者に仕えることで神に仕えるのです。」と語った。私たちは「自分第一」の考え方に苦しんでいます。私たちは、特にスポーツの世界に関しては、自分の才能や業績のせいで他人よりも優れているという嘘を信じてしまいます。 人に仕えるときは、意図的、積極的であり、親密さが必要です。奉仕に対する私たちの情熱は心から出たものでなければなりません。サミュエル・チャドウィックは、「霊に満たされた魂は神のために燃えています。彼らは輝く愛で愛します。彼らは燃え上がる信仰で仕えます。彼らは献身的に仕えます。彼らは燃えるような激しさで罪を憎みます。彼らは喜びます。喜びが放射され、愛は神の火の中で完成されるのです。」 私は、FCA の価値観の 1 つが誠実さ、チームワーク、卓越性と並んで奉仕であることが大好きです。基本的な価値観は、競争の場の内外を問わず、あらゆる関係において実践される必要があります。私たちFCAは単なるスポーツミニストリーではなく、仕えていく働きとして知られることを望んでいます。スポーツには、イエスの手足となる意欲のあるコーチや選手が切実に必要とされています。私たちの願いは、スタッフやボランティアが毎日起きて、「主よ、今日は誰に仕えればよいでしょうか?」とただ祈ることです。このたった一つの祈りがスポーツの世界を変えるかもしれません。コーチ、アスリート、スタッフ、サポーター、ボランティア、保護者の方々が無私無欲かつ犠牲的に奉仕する姿を見るのが待ちきれません。 イエスは考えられないことを行いました。リーダーシップを「仕えること」と再定義したのです。ヨハネによる福音書13 章で、イエスは私たちに明確な例を示し、私たちも同じようにすべきだと言いました。それが「奉仕に関する 10 の理不尽な掟」をまとめた理由です。これらは私がキリストのように仕えるのを助けてくれました。私たちの生きる世界では、仕えるのではなく導くように、ひざまずくのではなく立ち上がるように、タオルではなくマイクを掴むようにと理不尽ながら教えられています。しかし、神は私たちに心を尽くして仕えることによって、思いもよらないことや理不尽なことをあえてするよう呼びかけておられるのです。 1. 奉仕は義務ではなく愛です。奉仕は、作られた努力ではなく、自然にあふれ出るものであるべきです。奉仕は、単調な仕事ではなく、願望から生まれます。 2. 奉仕とはプロジェクトではなく、関係性です。あなたは何かを達成すること、または誰かを祝福することのどちらに重点を置いていますか? 3. 奉仕するのは自分のためではなく、他人のためです。自制は奉仕の核心です。自分のことばかり考えている状態で人に仕えられないのです。 4. 奉仕には犠牲が伴い、片手間でやるものではありません。犠牲は常に重要な要素です。 5. 奉仕する私たちは所有者ではなく世話役です。奉仕のやり方をコントロールしていませんか?奉仕による祝福は私たちではなく神が所有しているのです。 6. 奉仕は認知度を高めるものではありません。仕えるときは謙虚さが大事です。認知を求めるものではないのです。 7. 奉仕は手ではなく心で行うものです。奉仕は内部の働きです。批判的で不安な心のままで仕えることはできません。 8. 奉仕は人ではなく神に関するものです。私たちには神の心が必要です。神を利用するのではなく、神の目的のために神に用いられてください。 9. 奉仕は義務ではなく機会です。喜びは奉仕の副産物です。それは簡単ではなく、難しいことでしょう。 10. 奉仕するという選択肢はありません。イエスは私たちに例を示しました。私たちは奉仕しなければなりません。 私たちは奉仕を徹底的に取り組む必要があります。もし私たちがこの10の掟を実行し、家族、チームメイト、仲間、コミュニティのために情熱を注いだらどうなるでしょうか?その革命は私たちから始めるべきではないでしょうか?覚えておいてください。イエスは世を導くためではなく、世に仕えるために来たのであり、私たちから始まるのです。 父よ、私は毎日「自分第一」の精神と戦っています。あなたの前で私の自己中心さを告白します。私は奉仕することに夢中になる人でありたいと思っています。あなたの掟に従い、仕える者になりたいです。自分の必要よりも他人の必要を優先することに喜びと充実感を見出せるように教えてください。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。 翻訳元:https://www.fca.org/fca-in-action/blog-detail/2023/11/30/the-10-irrational-laws-of-serving 
09 Nov, 2023
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